家族

父さん

更新日:

父さんが逝って一週間が過ぎました。

残された母と色んな手続きをしながらに実家にいます。

外回りから帰ってくると、目に入るのはいつもと変わらない実家。

外の雰囲気も以前と同じ。

玄関も同じ。

居間までくるとそこには父の遺影があり、現実を突きつけられます。

これがなかったら、いつもどうり部屋でベッドに横たわりながらテレビを見ているだろうと思うことでしょう。

 

父の最期の入院生活は1ヶ月に及びました。

最期の一週間はほんとに壮絶で、見ているだけで辛かった。

もちろん本人は比にならないくらいの地獄の苦しみだったろうということは言うまでもなく…

 

父が逝った日はすごく晴れた日でした。

夜中に母とメールして「今は落ち着いてるよ」といわれ安心して寝床につきました。

ですが朝イチでまたメールすると「早く来て!」と。

すぐに病院に向かい、俺が病室に入ると母から言われました。

 

「お父さん死んじゃった」

 

父に目をやると昨日までの雰囲気と違いました。

泣きじゃくる母を横目に父に声をかけました。

返事はありませんでした。

顔を触るとまだ暖かかった。

近いうちに死ぬのは覚悟してたけど、息をしていない全く動かない父を目の当たりにした時はやはり何も考えれませんでした。

わかっていたはずなのに。

 

主治医の宣告が終わり、病室の片付けをしていると葬儀屋が父を迎えにきました。

顔まで布団で覆われた父を家族で囲んで通り慣れた廊下を歩いていくと、通ったこと無い通路に案内されました。

霊柩車が父をのせてでていくと、いつまでも頭を下げている主治医の姿がありました。

(じいちゃんの時もそうだったな)

じいちゃんの時は泣きながら歩いている俺を父さんが横から抱き寄せて頭を撫でてくれました。

自分の父親が死んで辛かっただろうに。

でもそれで余計泣けたんだよな。笑

 

父を見送って俺も実家に向かいました。

真っ青に晴れ渡った空が変な感じだった。

悲しいはずなのに、その空のせいで妙に清々しかった。

「いい日に逝けたな」って感じだったんかな。

 

友引を挟んだおかげで通夜、葬儀まで3日ほど時間が空きました。

初日は子供の時以来、家族で川の字で寝ました。

2日目は、入院中父が食べたいと言っていたカツ丼をみんなで食べました。

3日目は、母の兄弟達が遠い在所から来てくれたおかげで賑やかな夜になりました。

そして通夜、葬儀と滞りなく終わりました。

普通なら次の日には通夜なわけで、俺達は3日も長く父と過ごせたんだから幸せです。

 

そして、父の日が最期の別れという冗談みたいな日から今日で3日が過ぎました。

ですが未だにいまいち信じきれてない自分がいます。目の前に遺影もお骨もあるのに。

それはきっと闘病期間の出来事より、父さんとの今までの思い出の方が圧倒的に多いからのような気がします。

それに遺影の写真が最高なんですよね。

すごく優しい顔で微笑んでる写真なんです。

それを見る度に生きてる気がしてしまうんですよね。

 

親をなくした友人は「7年たった今でも引きずってる」と言っていました。

旦那を若い頃に亡くした義理の母は「10年はしんどいよ」と言っていたようです。

今の時点ではまだ正直キツイです。

油断すると涙が出てくるであろう状態っていうんですかね。心が落ち着いてません。

でもだからと言って無理に切り替えようとも思いません。

悲しみは勝手に癒やされていくから、今はこの悲しみを感じながら生活していこうと思っています。

 

こうなってみて思うのは、世界でたった一人の父親の存在は自分が思っていたよりすごく大きなものでした。

死んでから気づくなんてバカですね。

遺影を見るたびに襲われるこの感じは、父さんの死を受け入れられない感情の表れなような気がします。

それにしてもどこ行っちゃったでしょうね?笑

 

父さん、今まで本当にありがとう。

父さんで息子でよかったよ。

寂しいよ。

 

もう近くに感じなくなってきた

  父さんが逝って21日が過ぎた 七日ごとに和尚さん呼んでお経をあげるんだけど、今日はその3回目。三七日忌の法要だった。 今までは遺影をみる度に「生きてるんじゃないか?」という気持ちがどこか ...

続きを見る

 

-家族

Copyright© BACKFLOW , 2017 All Rights Reserved.