お見舞いに行くと、1点を見つめて寝ている父さんの姿が普通になってきた
顔は土色に変わり、白目は黄色くなっている
ベッドの横に簡易トイレが設置された
時折発する声は、顔の前まで近寄らないと聞こえないぐらい小さい
誰の目から見てもその時が近づいてるのは明らかだ
それでも父さんが今日言った言葉は、「まいったなぁ…帰ったらどうやって生活しようなぁ…」だった
こんな状況でもまだ死ぬと思ってない父親に、「そんなこと考えんでいいで今はゆっくり休んどればいいだれ」
こう声をかけるのが精一杯だった
元気な頃は「まいったなぁ…」なんていう人間ではなかった
今の父さんの絶望は相当深いと思う
絶望から救うという意味で余命を教えてあげるという手もあるのはわかってる
でも、種類の違う絶望がやってくるだけだと思うんだよね
それに数日後に死ぬとわかったって、出来ることなんて家族に別れの言葉を言うくらいしかないだろう
そりゃあ最初は父さんの別れの言葉を欲していた自分がいた 息子として、男として
だけど絶望の縁に立っている父さんに自分の欲求のために追い打ちをかけることなんてどう考えても出来ない
死期を知ることによって心の整理をつけるには時間がなさすぎる
とても言えない
話は変わるが、俺が小さな頃は近所のとんかつ屋の出前をよくとっていた
父さんはそこのカツ丼が大好きだった
そして今日病院でこんな会話があった
「〇〇のカツ丼が食いてえなぁ‥」
「〇〇のか?晩飯の時に買ってきてやるよ。どうせ暇だし」
「でもここじゃ食いたくねえな…家に帰ったら食うわ…ちょっとずつ食べれるし…」
「そっか」
(家に帰ったらか…)という気持ちがよぎったが、無理やり奥に押し込んだ
それにもう食欲はないはずなんだ
それなのにあのカツ丼が食いたいっていうのは、きっと食欲じゃない違うとこから来てんだろうなぁ…
大好きなカツ丼を口にすることなくこの世を去ろうとしている父
今の感じだと眠るように逝きそうだ
家に帰ってきたら〇〇のカツ丼買ってきてやるからな
家族でゆっくり食べような
穏やかな顔